司馬史観かく語りき

最近司馬遼太郎の「坂の上の雲」と「龍馬がゆく」を読んだ。恥ずかしながらこの2作品をこれまで読んだことがなかったのだが、もっと早く読んでおくべきだった。

坂の上の雲

坂の上の雲」は日露戦争を描く。日本がロシアに勝つまでの時代のうねりを、秋山兄弟(好古/真之)、正岡子規を中心に据えながら、精緻かつ多角的な時代背景の描写とともに伝える。

私がこの本を読んで感銘を受けたのは、時代の大きなうねりの迫力もさることながら、組織のありかたについての普遍性。

組織の目的

ロシアの陸軍を率いるクロパトキンは己の戦功を軍の本来の目的である「勝利」より優先してしまったために、組織全体が一貫性を失い自己崩壊に陥る。

目的は、組織を構成する要素ベクトルの方向性を揃えられるものでなければならない。そのためにはパブリックな性質と明快さが要求される。軍における「勝利」はまさにこの条件を満たす。目的が公的性質と明快さを失ったときに、組織は立ち行かなくなる。

 

組織の柔軟性

これは旅順の攻防によく描写されている。強固な旅順要塞に対して、伊地知が参謀を勤める日本の陸軍は戦略無き前進を重ねる。そこに失敗から学ぶ姿勢はない。結局、児玉源太郎が戦略の転換を図り、あっという間に事態を収拾する。

言うだけ陳腐だが、何事においても「何が問題なのか」を見極め、柔軟に対応することが肝要。

その「当たり前」をできなくするのが、「根拠のない思い込み」であったり、「上司に意見できない/しない風潮」であったりする。「根拠のない思い込み」は個人に帰す場合(旅順要塞の例では伊地知に帰する)が多い。旅順攻防では、伊地知個人の根拠の無い思い込みを児玉源太郎というより強い権限を持つ個人によって粉砕した。軍においては統制がとれることがきわめて重要なので「より強力な権限によるrewrite」が組織のあり方に添う。ただし、これは児玉源太郎という個人が非常に有能で、旅順要塞攻略の要を見抜いていたからこそ可能だった。つまり非常に柔軟性のある個人が組織を柔軟に運用した例だと思う。

そういう優れた個人がいない場合は、組織自体が柔軟になる他ない。組織を構成する個人が意見を述べることができる風潮をつくり、意見が発散しないための適切な「目的」を置くことで、柔軟な組織になるのではないかと思う。

旅順の場合は戦略無き前進に「疑問」を呈する者もあった旨の記述がある。「勝利」という目的は明確化されていた。「疑問」を汲み上げ、みんなで「何が問題か」を考えて戦略に昇華できる環境が欠けていたのではないかと思う。

が、私はまだ経験不足で、組織自体の柔軟化による成功体験を持っているわけではない。あくまで、「思う」という程度。


また先進の技術を導入することの重要性を改めて感じた。日本海軍における下瀬火薬の描写によく現れている。対照的なのが陸軍の装備が古かったこと。そのため非常な苦戦を強いられる。その苦戦を救ったのが、好古が騎兵に装備させることを主張し続け、ついに装備することを許された機関銃という新兵器。

新しい技術の価値を正しく認識し、取り入れることができるかどうかも、組織の柔軟性にかかっている。

適材適所

上記でも取り上げた旅順攻略の参謀伊地知。本書中では無能と断定しているが、そもそも伊地知が参謀に選ばれた理由が派閥的配慮によるものできわめて政治色が強い。これも「組織の目的」を最重視しない結末。一方で、本書における成功した(勝利した)例を見ると、適材が適所に配置されているパターンが非常に多い。



結局日本がロシアに勝利したのは、ロシアの組織的な自己崩壊に因るところが大きい。「組織の目的」で触れたクロパトキンの目的の私有化の例や、専制君主制を敷くことで著しく組織の柔軟性を失ったロシア帝国が内側から崩壊した。武力や経済力では、日本はロシアに遥かに及ばなかった。その事実からも、組織のありかたの重要性が判る。

上記は本作品を読んで私が感じたこと/学んだことのほんの一部。非常に基本的なことではあるが、史実が語っているので説得力がある。
司馬遼太郎は歴史をマクロ/ミクロの両側から捉えており、その才能と気の遠くなる努力に感嘆した。しばらく時間をおいてから、是非ともまた読み直そう。

竜馬がゆく

竜馬がゆく」も非常に面白かった。とにかく竜馬がかっこいい。リーダーたる者の人間的な魅力が存分に語られている。沁み入るような笑顔、という表現が繰り返し出てくる。普段は寡黙な竜馬が見せる沁み入るような笑顔が、人と人とを結びつける。そうして竜馬のもとに集まって来た人々が時代を動かし始める。

竜馬のすごい点は全体最適を考えられるということ。この全体最適のスケールをどこに持って行けるかで人物のスケールが決まると思うが、竜馬の場合は「日本」というスケールで考えている。坂本家でもなく、土佐藩でもなく、亀山社中でもなく、日本、である。この点がすごい。

奇術的、と言われる大政奉還に代表される竜馬の打つ手打つ手は、実はとても理に叶っており、大きいスケールで全体最適を考えているからこそ、成功したのだと思う。

利益は一軸では測れない。それぞれの立場の組織や人がそれぞれの問題を抱えており、それぞれの利益が存在する。だからこそ、たとえ競合する立場であっても、みなに利益があるという落としどころが存在し得る。この全体最適となる落としどころに対する嗅覚が、竜馬は鋭かったのだろう。

また、竜馬は政治的な活動を始める前に、剣の修行を徹底的に行っている。竜馬が、剣の修行を通じて得たものは剣の腕や内面の成長にとどまらない。社会的な信用を得たのだと思う。これが実は大きいし、その後の活動の基盤にもなっている。
何事も究めるところまでいくと、自分の内面が充実するのはもちろん、信用も付いてくる。その信用の価値は測り難い。

心にとどめて自分を磨き続けようと思う。「竜馬がゆく」も「坂の上の雲」同様、何度も読み返す価値のある作品だ。